稚児舞台展望台より撮影した写真

旧安達町にあるこの稚児舞台は、対岸にある島山(旧東和町)とともに、阿武隈川の流れがつくり上げた奇岩怪岩で連なる景勝地で、その景観は県十景に数えられています。
また、稚児舞台は展望台から奇岩怪石を眺めることもできます。(写真は稚児舞台展望台より撮影)

※注意※
稚児舞台には「マムシ」がいます。見学には十分にお気をつけ下さい。
注意表記の看板は設置しております。

景観(展望台からの風景)
展望台からの風景の写真

東屋(休憩所)
東屋(休憩所)の写真

稚児舞台の名称

稚児舞台という名には諸説あります。
(以下の文章は安達野のむかし物語より)

  1. 稚児舞台悲話
    この話は奥州の豪族安倍氏が国司に従わず、前九年の役が起こった時のことです。
    八幡太郎義家(源義家)は島山に、安倍貞任が児子山に陣を敷き、弓矢の戦いを数十日も行っていた。
    ある日、源氏の兵が「京の都では稚児さえも舞を舞うのだ。田舎者のお前らにはそれもできまいに。」と、大声で岩の上から挑発しました。
    これを聞いた貞任は自分の娘ふたりに稚児の姿をさせて、春風の運ぶ雅楽の調べに乗せて天女のように舞うふたりの舞に味方も敵も拍手が鳴り響きました。
    しかしふたりの娘は生き恥をさらしたと、相次いで断崖から淵に身を投じました。
    義家はこの様子を見て不憫(ふびん)に想い、ふたりの稚児の塚を築きました。
    このふたりの稚児が舞ったことから「稚児舞台」と呼んでいます。
  2. 機織御前姫と亀石(外部リンク:あだち野のむかし物語)
    また、稚児舞台には「稚児石」という石があります。
    その帰り、阿武隈川を渡ろうとして、稚児舞台に来た義家は岩上で舞をまう稚児の姿を間近に見ようとして高所より馬とともに落下し、馬は死んでしまったが、義家には少しの怪我も有りませんでした。
    馬が落ちた時、その跡が石に残ったとされるのが、後に「稚児石」と呼ばれるようになったと言われています。

稚児舞台公園案内板
稚児舞台公園案内板の写真

稚児舞台でみられるいろいろな動植物

  • ユキヤナギ(稚児桜)
    4月頃が見頃。群生地でもあります。
  • キジ
    川原などで見られる。
  • ウグイ
    別名アカハラ、ハヤとも呼ばれる。

遊歩道入口付近からの写真
遊歩道入口付近から

アクセス

二本松I.C.から車で30分


お問い合わせ先

安達支所地域振興課 地域振興係
TEL:0243-23-1223/FAX:0243-23-8241

関連項目