二本松の菊人形

二本松の菊人形二本松には藩政時代より菊の愛好者が多く、昭和初期から菊人形が街に飾られていました。
その後、昭和30年から趣向を変え、現在の「菊の祭典」として福島県立霞ヶ城公園(国指定史跡「二本松城跡」)を会場に、華々しく開かれるようになりました。
現在は、毎年10月中旬から11月中旬に開催し、艶やかな菊の花と色づく紅葉が会場全体をうめつくす日本最大級の菊の祭典として観光客を魅了しています。
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二本松の提灯祭り

二本松の提灯祭り今から約370年前(1643年<寛永20年>)丹羽光重公が二本松城主として入部、「よい政治を行うためには、領民にまず敬神の意を昂揚(こうよう)させること」と考え、寛文元(1661)年現在の場所に二本松神社をまつり、寛文4年(1664年)領民なら誰でも自由に参拝できるようにしたのが「提灯祭り」の始まりといわれております。
最初は、旧暦の8月15日を挟んで行われていましたが、大正7(1918)年の二本松大火から、現在の10月第一土・日・月に行われるようになりました。
二本松の提灯祭りは日本三大提灯祭りの一つとして数えられています。
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小浜の紋付祭り

小浜の紋付祭り(塩松神社例大祭)は、江戸時代塩松神社が藩の支配下にあった時、天明の飢饉の村内の復興のために、領主丹羽氏に、お金を献上して 御紋章三箇所の使用と神輿渡御(みこしとぎょ)が許可され、 寛政元(1789)年から始まりました。祭事中は4台の太鼓台が練り歩きます。
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針道のあばれ山車

針道のあばれ山車針道源太の時代(天正13年:1585年)よりの祭りといわれ、400年以上の伝統を誇ります。
現存する記録では、宝暦8年(1758年)にこの付近一帯が凶作続きや疫病の流行にあった際、人形を飾った山車や神楽囃子を奉納した記載が残っています。
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木幡の幡祭り

木幡の幡祭り戦いに敗れた源氏の軍勢がわずか数騎で木幡山に立て籠もったところ、一夜にして降り積もった雪で全山が白くなった様を追走してきた安倍の軍勢が、源氏の白旗に見間違え戦わずして敗走した故事により現在「幡祭り」として伝承されています。
現代では、白幡を先達に色とりどりの幡が行列し「日本三大旗祭り」の一つとも言われています。
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