観音丘陵遊歩道の写真

観音丘陵遊歩道は1985年に完成し、歩行者・自転車が通行出来る遊歩道です。
福島県自然遊歩道50選に選ばれています。
ここでは遊歩道と、その遊歩道内にあります、文学碑などを紹介致します。

途中から遊歩道へ出入り可能な場所があります。(8ヶ所)
観音丘陵遊歩道内にはいくつかの文学碑や歌碑、句碑があります。

東野辺薫文学碑

東野辺薫文学碑の写真

霞ヶ城公園側入口から約700メートルの所にこの文学碑はあります。
この碑は、東野辺薫の文業を後世にと、昭和53年(1978年)4月、先生の謦咳(けいがい)に接された安達高等学校同窓会生を中心に、市内外の、多くの有志により、先生の出生の地である、後新丁(※1)や、朝夕に仰がれたであろう安達太良の峰とお城山、そして作品の舞台である、上川崎の村(※2)を望む、ここ観音丘陵に建立されました。

(※1 現:二本松市若宮1丁目の介護専門学校近く(Google メートルapsで確認)また、この地名の読みを「うしろしんちょう」といいます。)
(※2 現:二本松市(旧安達町)上川崎のこと)

万葉集歌碑

万葉集歌碑の写真

この歌碑は、昭和53年(1978年)11月に二本松市制施行20周年を記念して、二本松松寿会が「永遠に残す事業」として建立した記念碑です。

歌碑の内容

万葉集第十四巻「東謌」「譬喩謌」
美知乃久能 安太多良未由美
波自伎於伎氏一 西良思馬伎那婆
都良波可馬可毛

解文

陸奥(みちのく)の安達太良真弓(あだたらまゆみ)
はじきおきてせ(漢字出ず)らしめ置(き)なば
弦著(つらは)かめかも(読人不詳)

解釈は、「陸奥の安達太良真弓を弾いておいて、後弦を外して、そり反らせたままにしたら、また弦をつけることが、どうしてできよう。」であり、人間関係の大切さを弓に譬(たと)えて詠まれた歌です。

中山義秀文学碑

中山義秀文学碑の写真

中山義秀文学碑は平成12年(2001年)に生誕100周年を記念して建立された。

中山義秀:沿革

明治33年(1900年)に旧大信村(現:白河市)に生まれ。
明治43年(1910年)二本松第二尋常高等小学校4年に編入し同小学校を卒業した。

さらに大正7年(1918年)福島県立安積中学校(現:安積高等学校)を卒業。
大正12年(1923年)早稲田大学を卒業し中学校教師として赴任、昭和8年(1933年)に退職した。
苦闘ののち揺るがぬ境地を切り拓き昭和44年(1969年)69歳にて没す。

昭和13年(1938年)「厚物咲」で第七回芥川賞を受賞。
戦後派歴史小説において独自の文学を築き「孤高の文士」として不動の地位を確立した のち芸術院賞を受賞し芸術院会員となる。

観音丘陵遊歩道フォト

霞ヶ城公園から約700メートルの場所
(成田園地へ向かうと、東野辺薫の文学碑があります。)
観音丘陵遊歩道の写真

郭内の街並み
(写真左に見える丘陵は鞍石山(智恵子の杜公園))
郭内の街並みの写真

松坂御門橋から若宮を見る。(写真中央奥には大壇口古戦場も見える)
松坂御門橋から若宮を見た写真
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遊歩道案内版(霞ヶ城公園側)
案内板の写真

※ご注意ください

  • バイク・自動車の出入りは出来ません。
  • また、遊歩道を管理する車が出入りする場合がございます。

お問い合わせ

文学碑や詩碑について・・・文化課
TEL:0243-55-5154

遊歩道の管理などについて・・・都市計画課
TEL:0243-55-5128