霞ヶ城公園

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日本100名城のひとつ、二本松城。
 二本松藩主である丹羽光重公によって10年もの歳月をかけて築城された近代城郭、二本松城。この二本松城は別名、霞ヶ城・白旗城とも呼ばれています。
 二本松藩は、十万石の大藩でありましたが、戊辰戦争で激しい攻防が繰り広げられ、二本松少年隊の戦死など悲話を残して慶応4年(1868)7月29日に落城しました。
 戊辰戦争により落城、焼失した二階櫓・箕輪門・多門櫓の復元を初め、本丸の修復、復元が行われ、天守台や本丸石垣も整備され現在は、県立霞ヶ城公園となっており、二本松城跡として国の史跡に指定されています。
 四季折々の色彩に包まれた美しい自然公園、霞ヶ城公園。春には、公園全体にソメイヨシノやヤマザクラなど約2,500本もの桜が二本松城を桜色に染める姿は「日本さくら名所100選」にも選ばれる県内屈指の桜の名所です。
 秋には、紅葉も美しく、霞ヶ城公園内に整備されている霞ヶ池・るり池・傘松周辺など見頃に合わせてライトアップが行われます。また、江戸時代から菊花の生育が盛んだった二本松。毎年秋には「二本松の菊人形」の会場として全国からの観光客で賑わいます。
 二本松の歴史、四季の自然美に癒される霞ヶ城公園。こころ安らぐひとときをお楽しみください。

詳細≫県立霞ヶ城公園 二本松城(外部リンク)

岳温泉

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 平安時代、征夷大将軍・坂上田村麻呂により発見されたと伝わる古い歴史を持つ岳温泉。高村幸太郎の『智恵子抄』に詠われた日本百名山の安達太良山の麓、海抜約600mに位置する高原の温泉郷です。
 源泉は、標高1,500m付近の源泉から8キロ引き湯にした全国でも珍しい自然湧出の酸性温泉。源泉温度は56.7℃、pH2.5で、無味、無臭で、透き通った湯は、お肌がツルツルになる「美人の湯」として古くの時代から良質な温泉が湧出する温泉地として多くの人に愛されています。
 肌に優しい湯は、慢性皮膚病や切り傷、神経痛にも効能があり、水戸(徳川)光圀もリピーターになるほどの天然温泉です。
 爽やかな高原の温泉郷岳家温泉は国民保養地の小さな温泉街で、温泉神社への参道でもあるヒマラヤ大通りを中心に趣ある温泉旅館が並び、風情溢れる街並みが湯上りの散策には、ちょうどいい距離感です。
 また、岳温泉には、日帰りでも気軽に楽しめる施設も多く、足湯やカフェ、雑貨屋など、街歩きの楽しさと高原リゾートの清々しさも楽しめる温泉郷です。
 豊かな自然に囲 まれた岳温泉は、四季折々の登山やスキーなどのアクティビティも楽しめ、体を動かした後は、岳温泉で体と心を癒してください。

詳細≫岳温泉観光協会

安達太良山

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 標高約1700Mの安達太良山は、磐梯朝日国立公園内にある磐梯山に並ぶ福島県を代表する東北の名峰です。日本百名山、花の百名山に選定されている安達太良山は鬼面山、箕輪山、鉄山、和尚山と共に安達太良連峰と呼ばれ、多彩な登山ルートが魅力で初心者から上級者まで楽しめます。
 安達太良山のなだらかな山頂に小岩峰が突き出ていてその形が乳首に似ているので別名「乳首山」とも呼ばれています。
 安達太良山への登山ルートは奥岳登山口からゴンドラを利用した初心者コースから、他のコースと組み合わせた中級向けなど、変化に富んだダイナミックなコースが体験できます。山頂までの登山ルートには花の百名山と呼ばれている四季折々の多彩な花と澄み渡る青空、山頂からは磐梯山や吾妻、飯豊連峰など360度のパノラマが楽しめます。
 爽快なトレッキングコースと共に安達太良山は文学の山でもあります。『あれが阿多多羅山(あだたらやま)、 あの光るのが阿武隈川(あぶくまがわ)。』詩人高村光太郎の智恵子抄や万葉集にも詠われいくつかの文学作品に安達太良山は登場しています。特に高村光太郎の『阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空が智恵子のほんとの空だといふ。』が安達太良山がほんとの空を見られる地だと有名です。
 安達太良山は春から秋にかけては登山・ハイキング。冬には白銀のスキー場と大自然が気軽に味わえる親しみやすい日本百名山です。

詳細≫安達太良高原リゾート(外部リンク)

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智恵子の生家/記念館

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 明治時代末期から大正時代にかけての女流洋画家「智恵子」。当時としては珍しく自分の人生を自分で選んだ“新しい女性”でもありました。また、詩人・高村幸太郎の妻として、夫、高村幸太郎が智恵子との純愛を綴った不朽の名作『智恵子抄』でも有名です。
 明治19年(1886)年、大きな作り酒屋の長女として二本松市に生まれ、なに不自由なく暮らし、純愛を育む高村幸太郎と出会い結婚。結婚して4年後、実家の不幸により故郷思いの智恵子は、次第に心が病み始めたのです。病床に着いた頃、光太郎に勧められた「紙絵」。毎日、智恵子は光太郎のために紙絵を作り続けました。光太郎への愛が込められた鮮やかな色彩と表情が生み出す作品には、智恵子が持つ“豊かさ”や“温もり”にあふれ、数百点もの紙絵を病院で制作しました。昭和13年(1938)、光太郎に見守られながら智恵子52歳の生涯を閉じました。
 智恵子が愛したふるさとに、生家である作り酒屋を当時の面影そのままに復元している智恵子の生家。2階には智恵子の部屋があり、当時の智恵子の思いが感じられます。
 生家の裏には当時の酒屋をイメージした記念館がつくられ、病に侵された智恵子が制作した美しい紙絵や当時の女性としては珍しい油絵の作品等が展示されています。
 そして、夫、光太郎への無償の愛を作品に表現した智恵子。ふたりの深い絆が体感できる智恵子のふるさとへお出かけください。

詳細≫高村智恵子

大山忠作美術館

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 二本松市出身で現代日本画壇の重鎮として活躍した大山忠作画伯。
 大正11年(1922)5月5日、現在の二本松市根崎に染物業を営む大山豊治・きくの次男、2男4女の第3子として生まれました。幼児期を安達太良山と阿武隈川に囲まれた自然環境の中で過ごした大山画伯は、二本松第二尋常高等小学校卒業後に上京、東京美術学校(現・東京芸術大学)で日本画を学びます。戦後、第1回日展を見て感動し、第2回日展では「O先生」を初出品し初入選となります。
 以後、日本画研究団体「一采社」に参加、山口蓬春に師事し、日展を主な舞台として、書きたいものを描くという姿勢で、人物から宗教、花鳥、風景画まで幅広い題材の作品を発表し続けました。
 大山忠作画伯の代表作「池畔に立つ」「海浜」など日展での特選・白寿賞受賞や「五百羅漢」の日本芸術院賞受賞と、数々の作品が名誉ある賞を受賞。このほか、法隆寺金色堂壁画再現にも参加。日本美術界に多大な功績が認められ、文化勲章受章など、画家として最高峰の名誉を手にした大山忠作画伯。
 大山忠作美術館には、大山画伯の画業65年にわたる業績を永く、広く世間に知っていただくことを目的に、二本松市へ寄贈された作品を収録・展示しています。幽玄・華麗なる大山芸術の世界をゆっくりとご鑑賞ください。

詳細≫大山忠作美術館(外部リンク)

小浜城 / 宮森城

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 二本松城主畠山義継による伊達輝宗拉致・故 殺事件「粟ノ巣の変」 勃発の契機となった城 館、宮森城。上館である宮森城の約2km北に 小浜城(下館)があり、両城は呼応・連携する位置関係で伊達領地を防衛していました。
 宮森城は、文明3年(1471)、 大河内修理が城を修築して、名を宮森城と改めました。永禄12年(1569)に大内家の領地になりましたが、天正13年(1585)に大内定綱が伊達政宗に敗れ、伊達領になりました。二本松城攻撃をもくろんだ政宗が小浜城入り、続いて、父・輝宗が宮森城に入りました。二本松城主・畠山義継が宮森城を訪れ、輝宗拉致。政宗の追撃に遭って義継ともども輝宗も粟ノ須で最期をとげたのです。
 小浜城は、大内晴継の子・宗政が1471年に築城した山城です。
 清継の前居住地・小浜(若狭の国)と当地の風土が似ていることから「小浜城」と命名されたと伝わっています。元々はこの地は大内家の領地であり、その後伊達家の傘下に入り小浜城とともに領地の護衛役になっています。
 現在では、「宮森城址碑」が建つ本丸には矢取八幡神社が祀られ整備され、近くには、石垣が残っています。宮森城の周りには、輝宗ゆかりの御用水「御膳清水」 、旧宮森城主大河内備中とそれを攻める大内備前定綱らとの因縁の史跡、「腹切石」「遺児が墓」「かっか石」なども伝えられており、戦国時代の史跡には、多くの歴史ファンが訪れています。

詳細≫小浜城跡 宮森城址

東北サファリパーク/エビスサーキット

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 安達太良山の麓に広がる高原地帯にある東北サファリパークとエビスサーキット。
 東北サファリパークは、 野生に近い環境で生活する動物の様子を間近で見られるスポットです。園内には、 ライオン・ホワイトタイガー、キリン・アフリカゾウ、 鳥類、爬虫類など約900頭羽の動物が飼育されています。放し飼エリアでは、 園内バスやレンタカーなどで間近に迫力ある野生動物を観察できます。

 また「ふれあい広場」ではワオキツネザルやエリマキキツネザル、 モルモットなどとの触れ合いやエサやり体験もできます。 他にもアトラクションエリアでは、アシカやオットセイたちのマリンライブやお猿さんたちによるショーなど、 動物たちによるショーやイベントなども楽しむことができます。
 隣接したエリアにはドリフトの聖地として有名なエビスサーキットがあり、 D1グランプリをはじめとするレースからスポーツ走行、 ドリフト競技などが行われ、多くの人たちで賑わっています。

詳細≫東北サファリパーク(外部リンク) エビスサーキット(外部リンク)

安達ケ原ふるさと村

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 安達ヶ原ふるさと村は、鬼ばば伝説の地・安達ヶ原黒塚にある約2万3千坪の豊かな自然の中に建つ大人から子供まで楽しめる、ふるさとの文化や歴史を伝える入場無料のテーマパークです。
 明治時代初期の二階建ての豪農の館をそのまま移築した「農村生活館」や当時の養蚕の姿そのまま見学・体感することができる「絹の家」、城下町二本松で盛んだった伝承の造りを忠実な姿で再現した「茶室」、江戸末期の中流武士の家を再現した武家屋敷は門構え・お庭・玄関など細かいディテールまでこだわって再現した姿は、まるでタイムスリップしたような風景が広がります。
 また、子どもが楽しめる屋内遊び場「げんきキッズパークにほんまつ」 や和菓子や清酒など二本松の特産品が揃う「ふるさと館」や郷土料理から洋食やキッズメニューまでメニュー豊富な食事処もあります。
 春には桜まつりが行われ、五重塔を背景にライトアップされた桜が楽しめます。 また秋は彼岸花が園内を美しく彩ります。

詳細≫安達ケ原ふるさと村(外部リンク)

4つの地酒

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 日本酒ファンの方ならご存知の全国新酒鑑評会。全国の酒蔵から毎年、 自慢の新酒が集められ、その技術と品質を競い合う鑑評会です。なんとこの鑑評会で福島県は“9年連続金賞の数が日本一を受賞するほど日本有数の酒どころなのです。 ここ二本松も造りに適した気候風土と良質の米、そして安達太良山の伏流水を使った酒造りが江戸時代から栄えた地で、現在も市内に4軒の蔵元があり、それぞれに特徴のある日本酒を造っています。
 その4つの蔵元の特徴をご紹介しましょう。
 まず1つ目が1つ1つの工程を大事に「入口から出口までしっかり」と酒造りを行っている奥の松酒造。近年は蜂蜜を使用した「ハニール」など、新商品開発にも力を入れています。
 そして、2つめが1752年の創業以来、日本酒の最も正統且つ伝統的な醸造法である「生もと造り」一筋に、豊潤な美酒を醸し続けている大七酒造。全商品が生もと造りなのが特徴です。
 3つめが、酸化を防ぐため瓶での貯蔵、殺菌は一度だけしか行わないなど、いつでも「しぼりたて」にこだわる人気酒造。
 そして4つめの蔵元が「千功成」のブランドで地元ではお馴染みの檜物屋酒造店。清酒鑑評会でも受賞している実力派ですが、製造される酒のほとんどが地元で飲まれるため、県外にはほとんど出にくい地酒中の地酒です。
 蔵人がたゆまぬ努力で、個性ある味わい深い酒造りを行っている二本松の4つの酒元を巡る旅はいかがですか? 思わぬ出会いがあるかもしれませんよ。

詳細≫奥の松酒造(外部リンク) 大七酒造(外部リンク) 人気酒造(外部リンク) 檜物屋酒造店(外部リンク)

夢ワインワイナリー

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 阿武隈高地の山あいに広がる二本松市・東和地区、どこまでも広がる大空、なだらかに連なる山並みに抱かれるように点在する畑。その中にある小高い丘の上に、ワイナリーがあります。その名は「ふくしま農家の夢ワイン」。ここは元々、地域の養蚕業が衰退し放棄されていた共同稚蚕飼育所でした。
 その建物を、農家の人々が自らの手で醸造施設に改装しました。そんな自然豊かな里山にたたずむハンドメイドのクラフトワイナリーで、ファーマーズワイン&シードルの素朴な美味しさはつくられています。
 原料をつくる農家が醸造・販売までを100%自前で行う「ファーマーズ・ブランド」。すべての工程に目が行き届く一貫性と、生産者の顔が見える安心安全な商品づくりに取り組んでいます。
 空の色や風の匂い、土の感触を農家が五感で感じながらつくる果実酒には、恵み豊かな阿武隈の風土と植物の持つ生命力がいっぱい詰まっています。ファーマーズ・ブランドならではの自然で素朴な美味しさを、ぜひ味わってみてください。また、9月末頃に開かれる収穫祭や、 4月と6月には音楽イベントも開催し、人気となっています。ワインやシードルを楽しむのはもちろん、一度は訪れてみてはいかがでしょうか?

詳細≫ふくしま農業の夢ワイン(外部リンク)